鎮座地

御創建

御祭神

御創建の歴史

 

藪原神社は、天武天皇(在位:673-686年)がそのご在位の間、勅命により帝紀と上古の諸事を記録・確定させ、我が国伝存最古の正史である日本書紀の編纂を始める前の天武9年(680年、飛鳥時代)に、日本書紀の編纂の詔を受けた皇族の一人でもある美濃王(みののおおきみ)が天武天皇の勅使として信濃国巡視の折、熊野の神々を勧請して創建されたのが始まりです。

 

古代日本の中央政府は飛鳥時代から平安時代にかけて計画的に道路整備を行いましたが、続日本紀の大宝2年(703年)の記録に「初めて美濃国の岐蘇山道を開く(木曽は当時美濃国に属していました)」という記述がみられることから、御創建と当時の国家政策との関連性も伺れます。

 

680年の御創建時は県坂頂峰(当時の信濃国と美濃国の国境)に御鎮座されたのち、後鳥羽天皇の御在位、源頼朝が鎌倉幕府を開いた建久3年(1192年)に同じ地域の十王という地へ遷座、さらに御柏原天皇の御在位、戦国時代初期にあたる永正8年(1511年)に現在の地へ遷座されました。ご社名は御創建以来、「熊野社」と称せられ、中世には「熊野大権現」のち、神祇官の長官であった白川伯王家の宣旨を受け「熊野大神宮」と御社名を改称、さらに明治4年(1871年)に現在の御社名に改称されました。

 

平安時代以降に熊野神社はじめ熊野の神々をお祭りする神社が際立って創建され、現在全国に約3000社ほどありますが、既に飛鳥時代に創建された藪原神社は極めて古い御社となります。

 

 

御神徳

 

難題・難問を解決に導く御神徳高く、また特に中世以来病気平癒の御神徳高いとされます。

 

 

境内と建築物

 

樹齢数百年を超える杉やひのきの大木に囲まれた神域にある現在の御本殿は、三間社流造、建築は江戸時代後期の文政10年(1827年)に当時幕府御用宮大工であった立川流の中でも、天才といわれた立川流二代目立川和四郎富昌によるものです。「わび、さび」と豪華絢爛の双方の審美が絶妙なバランスでとられ、繊細流麗の美と称えられた御社殿で富昌作の中でも力作といわれております。富昌はその技術の高さから幕府より「内匠(たくみ)」の称号を授与され、京都御所や日光東照宮など、現在、国や県の重要文化財に指定されている多くの作品を残しています。

長野県木曽郡木祖村薮原499-1

天武9年(680)

御本殿 伊弉諾尊 伊弉冉尊 速玉男命 事解男命

御相殿 須佐之男命 菅原道真公